| 卒業生は語る |
| 『カメラはいつも真実を写す』oベルナルド・ベルトルッチ ニューヨーク・フィルム・アカデミーは、スティーブン・スピルバーグの息子マックス・スピルバーグを始め、ジェームス・ボンド役で有名なピアス・ブロスナンの息子クリス・ブロスナン、アカデミー賞受賞俳優F・マーレー・エイブラハムの息子、映画監督リュック・べッソン(『フィフス・エレメント』『二キータ』)の妹や映画監督ピーター・ボグダノヴィッチの娘など、数多くのハリウッド・ファミリーが本校を映画制作を学ぶ場として選んでいる事を大変誇りに思います。同時に、本校から生まれた素晴らしい作品の数々が、映画畑とは全く無縁であった生徒たちの力作である事も大変誇りとしています。 信頼なるアカデミー 僕はアカデミーの上級映画製作クラスの卒業生であることを誇りに思っている。出身地であるブラジル、サンパウロ市に帰国して以来、2年間HBOで働いた。今はコロンビア・トライスター国際テレビ局(ソニー映画会社の傘下)で製作監督として籍を置いている。 ここブラジルでは最大手のケーブルテレビの1つであるソニー・エンターテインメント・テレビジョンのために、僕は全ての製作番組をコーディネートしているんだ。加えてヴェネズエラ・アルゼンチン・カンヌ・ジェノバやマイアミといった世界各地の製作会社でも働いているよ。本当にすごいよ!僕が製作の全てをこなすことが出来るのは、アカデミーで最高の教育を受けたからだ。ミーティングに参加したり、製作日記をつけたり、編集をしたりしたよ。 アカデミーで出会ったインストラクターの全てが、僕に素晴らしい影響を与えてくれた。僕たちにプロとしての実地経験を惜しげもなく披露してくれた。彼らは本当に映画産業とは何か知っている人たちだよ!中でもトム・シラーとリチャード・ショアの2人のインストラクターは特筆に価する。僕はアカデミーの歴史の一角となれてうれしい。どこへ言ってもアカデミーでの貴重な経験を伝えることを忘れないよ。 アレクサンドレ・デービッド ブラジル、サンパウロ市 信頼なるアカデミー 僕がアカデミーで映画製作の上級クラスを履修してから最早7年が過ぎた。あれ以来、僕は映画編集をメインの職業とし、既に10本の長編映画と無数の短編映画を編集した。僕の編集した多くの映画が、サンダンス・ロッテルダム・SXSW・モントリオール・ベルリンといった世界中の映画祭でプレミア上映されたんだ。現在は僕がエグゼキュティブ・プロデューサーと編集者として製作に携わった『アメリカン・デシ』という映画の国内配給を行っている。ニューヨークにあるシネマ・ヴィレッジ映画館にて公開中で、公開後1ヶ月でほぼ100万ドルの興行成績を上げたんだ。 僕が脚本を書き監督した長編映画『ネプチューンの揺れる馬』は世界中で公開され、バラエティ誌、サンフランシスコのABCテレビ局、フィラデルフィヤ・インクワイアー誌のキャリー・リッキーなどから熱狂的な批評を得た。また僕が監督した『ケトシス』という短編映画は、エディンバラ短編映画祭の最優秀コメディー部門で聴衆賞を受賞したんだ。 僕はアカデミーに敬意を表する。僕はクラスでの(小さいけど)素晴らしい撮影班の一員となれてラッキーだったよ。音響から映像編集という映画製作に関するあらゆる要素にとりこになった理由は、僕たちがそれぞれの製作映画で様々な役割に就いたからだよ。多分みんなは卒業後の事を知りたいだろうね。僕は今でも元クラスメートのレナート・ファルカオとは親友の仲だよ。何と言っても彼は上述した『ネプチューンの揺れる馬』と『ケトシス』を始めとした僕の多くのプロジェクトの撮影監督なんだよ。 アカデミーは、編集とは映画製作における重要でパワフルな要素であることを教えてくれた。アカデミーから離れても、編集過程とは一つの映画的再構築であることを信じるよ。僕は映画のペース作り、リズムによる実験、難題解決、シーンのごまかしや瞬間の収縮・拡大による実験、そして映画に本当に必要とされる基礎を楽しみながら学んだ。また僕と同様にオープンマインドな監督たちと学べることが出来てよかったと思う。 ロブ・テート ニューヨーク 信頼なるアカデミー 9週間前fストップのことなんて知らなかった僕が、5週間前映画祭出品のための8分間の短編映画を完成させた。 アカデミーは僕にとって頼れる大船であり、僕の履修したコースのどれもが素晴らしかったよ。知性あるインストラクターは個性を尊重し、かつ自由に意見を発表していた。多くの点で理論に基づく彼らの意見は、様式化された授業よりよっぽど役に立ったよ。 ブライアン・ノートン、ティル・ニューマン、ヘグ・タット・リム、パメラ・ハリス(順不同)には特にサンキューと言いたい。 トニー・リアーノ 信頼なるアカデミー 僕は1998年の夏にアカデミーのクラスに出席した。ここで僕は人生最良の経験を得た。ニューヨークという大都会に住み、今でも連絡を取りあっている多くの仲間と出会うチャンスに恵まれただけでなく、僕のキャリアを成功へと導くドアを開いてくれたんだ。 2ヶ月の映画製作コースを終えると、早速ニューヨークで2本の長編映画の仕事に就いた。1本はアレックス・ウィンター監督、ヘンリー・トーマス主演の『フィーバー』、もう1本はダン・マコーマック監督、メアリー・マコーマックと才気に富むキャンベル・スコット主演の『他人の声』だったよ。もし僕がアカデミーに行ってなかったら、こんな大きなプロジェクトで働く勇気を持てなかったと思うよ。アカデミーを卒業して8ヵ月後出身地のイギリスに帰国した。アカデミー在籍前のテレビ局でのキャリアが、なんと卒業後急激にアップしたんだ。僕は大手独立系製作会社のアシスタント・プロデューサーだった。ある日監督が病気でダウンした時、プロデューサーが僕に3分間のコメディー番組を監督するよう言ってきた。彼は僕がアカデミーで監督経験のあることを覚えていたからなんだよ。アカデミーで習得したあらゆる知識を使って、手近にこの仕事を成し遂げた。この「ラッキーブレイク」の結果と言えば、あれ以来僕はテレビのコメディー番組の監督を任されているってことだよ。 監督だけでなく、製作や脚本も任されているんだ。現在は、僕が監督し共同で脚本を書いているコメディーのドキュメンタリーシリーズを制作中だ。来年は新しいコメディー番組を制作・監督する予定。それに加えて長編映画も制作中なんだ。目下のところ全てにおいて僕の人生は絶好調だよ。 アカデミーのスタッフからの心のこもった援助と知識に感謝したい。強烈な才能の持ち主アダム・ストーナーには特に。もし彼がいなかったら、今の自分はないと思う。加えて編集室のジェフリーにも。彼のおかげだよ、僕が今でも正常でいられるのは。 スペンサー・ミルマン イギリス、ロンドン市 信頼なるアカデミー こんにちは!ブラジルに帰国して以来、僕の人生はあらゆる面でうまくいっているんだ。コース終了後1ヶ月と経たないうちに、16ミリでコマーシャル第1作目を撮影した。本当によく書けている脚本で、幾つかの賞を獲得したよ(事実、昨日はそのコマーシャルでブラジル最大のテレビ局であるテレビグローボからもう1つ賞を得たんだ)。 それ以来、僕の出身地アルゼンチンで40本以上のコマーシャルを撮影した。大半は16ミリだったけれど、35ミリで撮影したコマーシャルは今までで一番大きなプロジェクトだったよ。結婚式のシーンには、7人の俳優、45人のエキストラと50人の撮影班を要したんだ。サンパウロでワンシーンを撮影し、ブエノスアイエスで撮影を終えた。 月曜日、バヒア州政府のためのコマーシャルを撮影し、ちょうど編集を終えたところだよ。明朝、広告会社に見せるつもりなんだ。 アカデミーでの素晴らしい経験に心から感謝したい。僕はいい思い出で一杯だ。僕がショービジネスに足を踏み込めたのもアカデミーのクラスとインストラクターのおかげだよ。 僕は今でも誇らしげにアカデミーのTシャツを着ている。そして一人でも多くの人にアカデミーを薦めている。ブライアン・ノートン、アダム・ファインスタイン、デーナ・ロンバルディ、キンバリー・ハードウッドとモトユキにサンキューを言いたい。また会う日まで! アレハンドロ・アルバロ ブラジル 信頼なるアカデミー 1994年アカデミーで映画製作上級コースを終了した後、パサディナにあるアートセンターデザイン大学にて映画の学位を得た。アカデミーで制作した映画が認められて、奨学生として大学に入学した。もしアカデミーでの経験がなければ、大学に行くことなど不可能だったに違いない。 僕は大学4年生の時に『コインランドリー3部作』という30分の短編映画を制作した。これは1998年のパームスプリング国際映画祭でプレミア上映されたんだ。それ以来、僕は自作の脚本執筆や、パートナーと共同で脚本を書いたり制作をしたりしている。最近3本目の短編映画の撮影を終えたばかりだ。今は西海岸に住んでいるけれど、近い将来ニューヨークかロサンゼルスに戻ってアクションを起こすつもりだ。 ジョシュ・ビール カリフォルニア 信頼なるアカデミー ナターシャ・フェオーラです。アカデミーでの勉強により、映画監督になる決心がより一層硬くなりました。2年前にアカデミーで撮影した短編映画の1本を再編集しました。また大学院で映画製作を学ぶことを決心し、幾つかの大学院に願書を提出しました。私の第一志望校はニュ―ヨーク大学でしたが、信じられないことに奨学生として受け入れられました!アカデミーは映画製作を学ぶ上で最上の一品料理でした。今ではフルコースを味わわずにはいられません。 ナターシャ・フェオーラ オレゴン州ポートランド市 信頼なるアカデミー アカデミーで集中映画製作コースを終えた後、僕はハリウッドに赴きロバート・キングのために2本の脚本を執筆した。彼は『バーティカル・リミット』『レッド・コーナー』『スピーチレス』の脚本家/プロデューサーだ。 目下のところ僕が監督しているデジタルビデオ長編映画『誰もチャーリーには勝てない』の撮影班をインタビュー中だ。 ジェレミー・ディラン・ラニ ニュージャージー 信頼なるアカデミー 私は1996年の8月から10月までアカデミーに在籍しました。あらゆる面において私にとっては貴重な経験でした。96年以来、映画とビデオの両方で撮影を続けています。 『左出口』という長編映画の撮影に96年の10月から98年の3月まで費やしました。98年に開催されたブルックリン映画祭を始めとする幾つかの映画祭で上映されました。 私たちの製作会社であるユーフォーリックプロダクションは設立以来5年目を迎えました。独立系短編映画の製作が主な仕事ですが、コマーシャル、マニュアルビデオやテレビも製作します。幾つかの独立系長編映画に参加する機会も持てました。 私は1999年にここテネシー州ノックスビル市にて3月の5日間、ヴァレーフェスト映画祭を開催しました。2002年は3月の13日から17日まで開催、4年目の映画祭を終えたところです。開催地はリーガルシネマアート劇場でした。この劇場は映画祭を発展させる上で、頼りがいのある友人となっています。オンライン映画評論家のクリス・ゴアは『究極の映画祭ガイド』第2版で、ヴァレーフェスト映画祭を新しい映画祭の中ではトップ10に入ると豪語しています。 なおアカデミーの生徒から映画祭出品作品を募集中です。アカデミーや他の映画学校へ募集要項をお送りします。また私たちのウェブサイト、www.vallyfest.comにもアクセスしてみて下さい。 私はアカデミーで出会い撮影を共にしたジョン・メフォードと今でも親友関係を続けています。彼はハリウッドで編集のスーパーパイザーとして自分の居場所を見つけました。もしあなたが彼の最新の住所を持ってないとしたら、どうぞ私に知らせて下さい。喜んで教えますよ。 ドナ・マックスウェル テネシー州ノックスビル市 信頼なるアカデミー 僕の名前はダン・ベレンホルツ。1999年アカデミーの高校生夏期コースに参加した。それ以来、僕と友人は長編映画の脚本を書き、その映画は最近プロジェクト・グリーンライト・コンペティションに提出されたところだ。僕は幾つかの短編映画を製作し、2000年のブロンズテリー賞を含んだ2〜3の映画賞を受賞したんだ。加えて、この地域で製作されていた独立系の映画にインターンとして参加した。 アカデミー卒業後、僕はどれほど映画史に関して無知であったかに気がついた。だから映画史に関するウェブサイトの作成に取り組むことにしたんだよ。出来上がったのは、www.moviesite.net。このネットは1999年のコミュニケーター・プリント・メディア賞で受賞し、2000年の10月には、industrycentral.netにて「今月のベストサイト」に選ばれたんだ。 ダン・ベレンホルツ ペンシルベニア 信頼なるアカデミー 僕は短編映画第1作目にあたるデジタルビデオのプロジェクト『悪魔のキス』を完成させた。これは上映会でチケットが売り切れになったんだ。最近この映画を映画祭に出品したよ。またワンウーマンショー『ニューヨークのヌード』を監督/製作した。このショーはプロデューサーズクラブでの上映が終了し、ニューヨリカン詩人のカフェでは連日ソールドアウトの売れ行きとなっている。僕たちはこのショーですぐにでもツアーに出たい。僕は地方のコマーシャル監督でもあり、ブロンクスにあるのケーブルヴィジョンのプロデューサーでもあるんだ。僕は現在次回作の準備に忙しく、今夏撮影開始予定だ。 マイク・バエズ |